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東京について

2016-12-07 コラム・ニュース


「あなた」にとっての住んでいい区よくない区

東京23区は、むしろ「格差」を前向きに捉え、それぞれの発展を続けている。

様々なデータだけで見ても、どの区であろうと、住む価値は十分にあることはわかるとおもいます。

いきなり結論を言えば、住んでいい区は確かにあるが、住んでよくない区など実際にはありはしない。

しかし人の好みや関心、暮らし方は十人十色。

「あなた」にとって、という条件をつければ、住んでいい区、住んでよくない区があることは否定できない。

東京というまちのあるがままの姿を、自分なりに発見していくことが大切でと思う。

そこで、そんなあなたのお役に立てるよう、「まち選び」という主旨で、住んでいい区、よくない区を考えてみましょう。

過去の遺産から未来を見出す

文京区本郷の東京大学は、ほぼそっくりそのまま加賀前田家の大名屋敷跡に立つ。

前田家は百万石だから屋敷も広かったのだろうが、新宿御苑は信州高遠内藤家三万111千石の屋敷跡で、三万石でもたいしたものだ。

ひと口に三百諸侯と呼ばれる大名は、江戸に上·中·下の三つの屋敷をおいていた。

さらに、抱え屋敷という別邸を持つ大名もいたため、江戸のまちは大名屋敷だらけだった。

大名屋敷には、池のある大きな庭があった。

つまり、大名屋敷だらけの江戸のまちは、庭園だらけのまちでもあった。

大阪や横浜などと比べ、東京の中心部に緑が多いのは、この遺産にほかならない。

明治維新後、広い敷地面積を持った大名屋敷は官庁街や民間のビル、住宅などに姿を変え、東京の発展を支えた。

大学や公園として使われたものも東京大学や新宿御苑だけでなく、枚挙に暇がない。

大名屋敷は官や軍の用地に使用されたり、大きな施設ができるなど、まとまった土地利用がなされていた場合、都市改造の恰好のタネ地にもなった。

代表例は、長州毛利家の屋敷から陸軍用地、防衛庁·自衛隊用地を経て、今の姿に至った六本木の東京ミッドタウンだろう。

同じ六本木の六本木ヒルズは、周辺の密集市街地を含めた再開発だが、中心のテレビ朝日は、元をたどれば長府毛利家の屋敷跡。

だから六本木ヒルズには毛利庭園がある。

きりがないので詳しい話は省くが、赤坂サカスも、汐留シオサイトも大名屋敷の跡。港区に富の集中が進んだ背景として、都心での生活に適合すべく高い機能を備えたこれらの施設が果たした役割は大きいとするなら、今日の港区の繁栄は、江戸から続くハードの集積の上に立っていることになる。

一方下町の方はというと、こちらはソフトの領域で、江戸の遺産を強く受け継いでいる。

江戸のまちは、武家地が7割、寺社地と町人地が15 %ずつとされるが、人口は武士と町人がほぼ半々です。

狭い町人地に、庶民はひしめき合って暮らしていた。

落語でお馴染みの「九尺二間の長屋」とは、間口九尺奥行き二間のこと。

計算すると、畳6枚分。

この中から、台所となる土間が取られるため、居住スペースはもっと狭かった。

押入れもなく、隣との境は薄板1枚だけ。

プライバシーも何もあったものではない。

そのかわりというか、そうだからこそ、江戸の下町には長屋全体が一家のように助け合う心が生まれた。

3代にわたる江戸っ子は、今や希少価値の存在になった。

しかし、新住民のマンション族を含め、下町に残る地域コミュニティの根強さは、やはり江戸の遺産だろう。

東京東部に残る家族主義の伝統も、やはり地に染み込んだ過去の遺産にたどり着く。

時代は下るが、西部山の手がブランド住宅地になったのも、大正末からはじまる住宅開発の遺産を引き継いだものだ。

食い潰しているか、継承しているか、時代に合わせて再生させているかはともかくとして、 東京が過去の遺産の上に立脚していることは間違いのない事実である。

借家暮らしが気楽でいいと割り切って、ライフサイクルに合わせて住まいを変えるのなら、せいぜい数年先を考えればいい。

だが、持家を選ぶとなると、30-40年先を見通さないと、「住んでよくない街」に住まざるを得なくなるリスクを招きかねない。

とはいっても、そんな先のことなど誰もわからない。

だが芯にあって、簡単に変わらないものなら見つけ出すことができる。

たとえば東京だと大名屋敷跡ならではの機能性か、下町由来の濃密なコミュニティか。

そういった歴史が与えた贈りものを発見できたとき、見えない未来は姿を現す。

人間は抜群の環境適応能力を持っている。

日本人は特にこの能力に長けている。

だから、枝葉の部分にやたらと惑わされる必要はない。

幹を見つめよう。

簡単とはいわないが、決して難しいことではない。

定住の呪縛から逃れる

東京は目まぐるしい変化を続けている。

変化するからそこに活力が生み出されていく。

東京に商店街や銭湯や豆腐店が残っているのも、変化しているからこそ変化しないとあとは衰退しか残されない。

それは人もまちも、商店街や銭湯や豆腐店も同じ。

たとえば、銭湯が従来のように風呂が家にない人だけを相手に商売をしていたら、東京から銭湯は真っ先に消えていただろう。

東京23区の銭湯の数は、1位が「黒湯」と呼ばれる天然温泉が沸く大田区。

東部の各区がこれに次ぐが、セレブな世田谷区が実は六番目に多い。

昨今、温浴施設が人気だ。お台場の「大江戸温泉物語」のように、温浴施設は様々な癒しを提供するある種のテーマパークだと言っていい。

銭湯を低料金で手軽に楽しめる温浴施設だと捉えれば、従来の「常識」が大きく変わる。

データは後に示すが、世田谷区には多くの新住民が流入し続けている。銭湯を知らないこうした新住民にとって、銭湯は新鮮な魅力として目に映る。

つまり、銭湯自らが変わり、合わせてまちも変わることによって、世田谷区に銭湯が生き残り続けているのである。

これは世田谷区に限らず他の区にも共通して指摘できることである。

さらには銭湯に限らず、豆腐店や商店街にも共通している。

日本人は、よき意味で保守的であり、変わらないことに安心感を抱く。まちに関して変わらないことといえば、定住がその象徴となる。

30歳以上の人のうち、20年以上現在と同じ場所に住み続けている人の割合(定住率)を示したものがあるが、過去20年間で、

人口が80 %も増えた中央区で20年以上の定住者が少ないのは当然だし、この間にウォーターフロント部での住宅開発が一気に進んだ江東区の定住率が低いのも納得できる。

しかし、結果が人口増加率と相関(正しくは逆相関)しているかというと、必ずしもそうではない。

中央区、江東区の両区を例外として、定住率が低い区は、順に港区、世田谷区、目黒区、千代田区、文京区。リクルート住まいカンパニーの『住みたい区ランキング』の上位区、「三高」の区、高齢化率の低い区が並んでいる。

これは知名度が高い区とも重なり合う部分が多い。

一方定住率が高い区は、北区、台東区、葛飾区、足立区、墨田区、荒川区。これらは「住 みたい区」のランク外と完全に一致。「三平」で高齢化が進む、知名度の低い区がズラリと 名を連ねる。

「常識」と逆に、定住率が高い区こそ「負け組」に、定住率が低い区こそ「勝ち組」になっている。

定住率の向上を錦の御旗のように掲げる研究者や政治家や行政マンは、この結果にどうコメントするだろうかともおもえる。 マンション投資 マンション経営class="alignleft

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